商店街と猫の話

今となっては商店街というのは観光地か大都市でもなければ壊滅しているのが殆どなもので、例に漏れず我が故郷の商店街もシャッターが立ち並ぶ通りになっている。
いやそれどころか、シャッター商店街を通り越して家屋さえ存在しない更地商店街な状態と言っても良いだろう。
それでもこの場所は、おれが上京した少し後の90年代終わり頃までは商店街として機能はしていた。
商店街内に県内資本のスーパーマーケットがあったものの共存はできていたし、魚は鮮魚店、服は衣料品店、おもちゃは玩具店、本は書店といった具合に個人商店が商店街の個々の機能を果たしていた。

そんな商店街に衣料品店鮮魚店が隣接していた。

衣料品店は若者受けのする店で、おれが小さかったころは当時流行ったファンシーグッズ等の雑貨類も販売していて、地元女子中高生の行きつけの店であった。
鮮魚店は魚の鮮度が良いと評判だった。
斜向かいに県内資本のスーパーマーケットが出来た時も、「でもあの鮮魚店の方が鮮度も良くて美味い。仕入れの目利きが違う」と差別化を図ることでより評判をあげたところであった。

時代にして90年代終わりのおれが上京してしまった頃、先述のとおりこの場所が商店街として機能していた最後の時代の頃に鮮魚店の奥さんがガンになった。

商店街が機能していた最後の時代ということは、裏を返せば商店街も翳りを見せはじめた頃でもあった。
当時衣料品店は副業で収入を得るようになっていた。
健康食品の販売業である。
そう、衣料品店鮮魚店の奥さんに取り扱っている健康食品の使用を勧めたのである。
しかしながら、鮮魚店の奥さんが亡くなるのはすぐのことだった。

医師によるまっとうな医療行為も受けてはいたし、健康食品の効果があったと言い難い結果であった。


問題が起きたのはその直後のことであった。
衣料品店が「この人は末期ガンではあったけど、この健康食品を使用したことで医師の余命宣告より生きながらえました」と、健康食品の広報誌に鮮魚店の奥さんへの紹介事例を掲載してしまったのだ。

商売のために身内もネタにする浅ましさを見せたのだし、衣料品店鮮魚店もお互いが険悪になるのは当然のことである。

町内でも衣料品店への視線も冷たく、閉店してしまうのはこの数年後のことであった。

ゼロ年代に入った頃になるともう商店街を必要としない時代になっていた。
全国各地どこにでもあることで、ここも例によって大型店舗の発達により個人商店が立ち行かなくなる。
この商店街も歯抜けのように店じまいされて行き、「次はあの店か」などと地元の人がささやくようになっていった。

商店街は崩壊し、帰省するたびに目に見えて衰退していった。


そんな中で件の鮮魚店の商売もうまく行かなくなっていく。
内陸地であった商店街の個人経営であれだけの仕入れをするには、相当な経営努力はあったと思われる。
しかしながら、鮮魚店という商売は生鮮食品を取扱い、在庫の商品価値を維持できない商売なのだ。
仕入れの数を少しでも間違ったら、大赤字になる。

ここから鮮魚店主人の行動が異常なものになっていった。
猫を目の敵にするようになり、野良猫も飼い猫も構わず自宅近隣の猫を殺しまくるようになったのだ。
毒エサだったり、鈍器だったり、罠だったりと、あらゆる手段を使ったらしい。
猟奇的な嗜好ではなく、あくまでも商売の仇とばかりに殺害しまくっていたのだった。

猫と魚屋のケンカなんて言ったら昭和の漫画のようであるが、今世紀に入ってからの話であり、決して漫画のような牧歌的なものではない。


殺された猫のうち実家で飼っていた猫も含まれているらしかった。
裏庭にある小屋にいつの間にか住み着いた猫で、いつも近くにいるという関係性ではないが気がついたら家の中にいるような存在だった。
「飼う」というよりも居候のような立場だったかもしれない。
この頃すでに実家を離れていたおれは、この猫にとっては余所者でしかないらしく、帰省した際にもあまり触れさせてくれることはなかった。
それでも家族は最初に住み着いた小屋以外にも家屋にも寝床を作ってあげたり(それがかつてのおれの部屋であった)、食事を与えたり、どこかの野良猫と喧嘩をして怪我をして帰って来たときには動物病院につれていく程度には可愛がられていた猫である。
その猫が、鮮魚店の主人が猫を殺しまくっていた同時期に、ぱったりと家に帰って来なくなった。
殺された猫を観た人の話によると、実家にいた猫によく似た猫の死体もあったと言う。

鮮魚店の主人にそれで何らかの処罰があったかと言えば、これが皆無である。
もうすでに動物愛護法も改正されていた頃だと思うし、そうでなくとも器物損壊罪は適応されそうなものなのに、である。
この地域の人間関係は、物事に波風を立てるのを極端に嫌うのだ。
飼い猫が殺されたのは実家以外にもあったかも知れないが、だれも表立って動こうとすることはなかった。

家族には「ちょっと酷すぎやしないか?」と言ったのだけど、「もう死体も処分され証拠ももう残ってないからどうしようもない」と返ってきた。
「猫は外に出さない飼い方が主流になってきたのに」などと飼育方法への注意もするべきと思われるかも知れないが、いかんせん田舎の実家に住み着いた猫のことで、そのような「モラル」が伝播するには時間が到達してない。
それでもやはり、家族はそのとき当然意気消沈していたし、その猫の写真は今でも仏壇の脇に置かれている。

猫を殺した鮮魚店が閉店するのもそのすぐのこと。
そして主人が亡くなるのは閉店から間もないことで、東日本大震災前くらいのことだった。

死因は奥さんと同じくガンであった。
鮮魚店の店舗兼家屋は誰も居なくなって数年放置され、現在は解体されている。
今ではここも更地になり、申し訳程度のような小さな花壇があるだけである。

そしてあの衣料品店が現在どうなったかと言うと、衣料品を売る商売はとうにやめてしまったものの、健康食品の販売業を地元で相変わらずやっているそうだ。

また、町内のあちこちに土地を所有していて小銭を稼ぐ程度にはやりくりをしているそうである。
そして実は今、どんな経緯があったかわからないが鮮魚店のあった更地も衣料品店の所有地になってしまっている。