彼らは確実に生きていた。悲劇にあう直前に撮影された最後の写真

 

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こーゆーのって言っちゃあ不謹慎って言われるかもだけど、ゾクゾクする。

90年代に『BUBUKA』だったかのサブカル誌での浜岡賢次浦安鉄筋家族の作者です、念の為)へのインタビューで、「先生はホラー映画に造詣が深いようですね」から始まった話の流れで、氏が「私が興味があるのは死体じゃなくて死ぬ瞬間なんですよ」って答えていたのを思い出す。
ホラーとギャグは紙一重と言うけれど、浜岡賢次の猟奇的な人間性があの作風に隠れ見える発言だと思う。
スラップスティック・コメディな作風の中にある汚物をぶちまける描写は、死の瞬間への暗喩ではなかろうか。

そう言えば、90年代サブカルチャーでは「死体はアート」なんて恥ずかしい潮流があった。

まあ、おれも『世紀末倶楽部』とか『危ない一号』とか『GON!』とか『TooNegative』とか買ってたクチなんで、そんな恥ずかしさに乗っかってたんですけど(笑)。
当時この恥ずかしい潮流に「現代では死は禁忌されていて云々」だなんて、もっともらしい理屈を付けたもんだった。
だが、実際は理念なんてものはなく、多くの人にとっては見世物根性でしかなかった。

死体なんて終わってしまったものだ。
こう言っちゃあ悪いが、腐乱死体なんて思い入れのある人への遺族という立場でもなければ悪臭を放つ汚物でしかない。

本当に観たいものは死ぬ瞬間じゃないか。

未だにフィクションでは死の瞬間が描かれているし、近世までは死刑はエンターテイメントだった。
今でも公開処刑を行う国家はある。
死ぬ瞬間を観ることへの希求は、現在にも連綿と続いているんだよねえ。
社会体制を変えようとも、人間なんてそんなに変わらないんだよ。
でも死の瞬間を目の当たりに出来ないのなら、その直前からその後どうなったのかを想像する。

リンクの写真は、死を覚悟したものもあれば、まさか死ぬなんて思ってないものもある。
死は誰にもやってくる。
でも訪れ方はみんな違う。

いやあ、なんかゾクゾクするねえ。